仕事と作業の違いについて、これまでに多くの先人が言及してきました。しかし、仕事の本質を勘違いしている人をこれまでにもしばしば見ており、世間一般では理解している人がそれほど多くないのかもしれません。
そこで今回は「仕事と作業の違いで注意すべきこと」について、私なりの考えを述べ、皆さんにも仕事と作業でそれぞれ意識すべきことは何かを知ってもらいたいと思います。
まず読んでもらいたいのは、数年前に私がエントリーした「仕事と作業の違い」における引用です。
『私たちは普段、仕事という言葉と作業という言葉を同じ意味で使っていると思います。辞書を調べてみると、両者とも似たようなことが書かれているため、なおさら同じ意味で考えてしまいそうです。でも、本当にそうなのでしょうか。
次の2つの例を考えてみましょう。
Aさんは上司から、下期の経営課題を解決するために必要となる社内システムの改修費用算出を命じられました。Bさんは上司から、上期の経営課題のうち、解決しなかったものをリスト化して提出するよう頼まれています。
さて、AさんとBさんに与えられたタスクについて、何か違いが分かりますか?
Aさんのタスクは、所与の条件である下期経営課題を基にして、システムに求められる追加機能やその費用を、”自分で考えながら”まとめていかなければなりません。Bさんのタスクは、所与の条件である上期経営課題に対し、それをまとめるだけ、つまり”自分で考えず、与えられた指示に従って”まとめていけばいいだけです。
私は、Aさんのやっていることを「仕事」、Bさんのやっていることを「作業」だと認識しています。仕事は、その背景にある内容を積極的に理解しながら、新たな価値創出に取り組むものです。それに対し、作業とは、与えられた指示に沿って何かを行うことを意味します。
作業はどんな職場でも必ず発生するものですから、それ自体を否定するつもりはありません。注意しなければならないのは、本来「仕事」であるべきものが「作業」と化していないかということです。
作業と化した仕事は、その成果も薄っぺらで、指示内容を逸脱する状況が発生しても対応することができませんが、本当に仕事をしているなら、指示内容の背景も理解して取り組んでいるはずですから、不測の事態にも臨機応変に対応できるものです。』
http://it-ura.seesaa.net/article/7658672.html
これを読んで、仕事と作業の違いを大括りで分かってもらえたかと思います。ここまでの理解を求めているエントリーはWeb上で散見されますが、それだけを鵜呑みにしてしまうと、他人に迷惑を掛ける仕事をやりかねません。
特に「仕事のやり方」でよく問題になるのは、次の2つのポリシーです。
(1)「やることの背景を隅々まで理解することが仕事をする上で重要だ」
(2)「任された仕事には最善を尽くすべきだ」
1つめの背景理解に関するポリシーはなぜ問題になるのでしょうか。
自分のテリトリーについてキッチリ責任を取ってくれる姿勢が好印象だ、と感じる人もいるかもしれませんが、そのような印象を抱けるのは、対象業務の範囲が限定的な場合に限ります。
IT業界の場合、1ヶ月で数十人以上が参画する大規模なシステム開発プロジェクトはしばしば発生しますが、これくらい大きなプロジェクトになると、プロジェクトマネージャーは末端で行われている内容を細部まで把握できません。1日24時間働き続けても、自分の作業と各チームからの進捗確認、それに重点課題への対応で手一杯です。もし、末端までのすべての内容を把握しようとするプロジェクトマネージャーがいるなら、彼自身が全体のボトルネックになって、プロジェクト全体に多大な迷惑を掛ける事になります。
2つめの最善を尽くすポリシーはどうでしょう。
責任感があって望ましいと考えるのが一般的だと思いますが、これも度を越すと大変な迷惑になってしまいます。
1週間後までに仕上げて欲しい資料があったとして、これを部下に依頼したとしましょう。部下は自分の知識だけでなく、社内の様々なデータを探して、期日キッチリに資料を提出したとします。しかし、提示された資料があなたのイメージしていた内容と大きく異なっていたとしたらどうでしょうか。どうしてもっと早い段階で資料作成の方向性を確認しに来なかったのだ!と思ってしまいますよね。
もちろん、部下の仕事のやり方にアドバイスをするのは上司の務めですから、こういった方向性のすり合わせは率先して上司からも声を掛けるべきではありますが、抱えている仕事量が比較的多い上司が個別に気を回すよりも、個別案件として抱えている部下から問いかける方が効率的ですし、デキる部下というのは、そういうことを誰に言われるでもなくやることができるものです。
ここまでは仕事のやり方における注意点でしたが、続いて作業におけるそれを考えてみたいと思います。
「作業のやり方」でよく問題になるのは、次の2つのポリシーです。
(1)「依頼を受けた内容が適切でないと感じたら、自分なりの改善案を示すべき」
(2)「ルーチン作業といえども、作業前提や手順は毎回精査すべきだ」
これまた一見すると何ら問題のないポリシーに思えますが、それも時と場合によるということを私たちは理解しなければなりません。
1つめの改善に関するポリシーは、作業に対する自主性を持たせるという点で好印象を与える姿勢ですが、それは作業者であるあなたが依頼者の意図を十分に汲み取れているという条件下での話です。
例えば、役職が相当上の人間から依頼される情報収集や資料作成の依頼では、現場の視点からは不合理を感じるような作業を強いられることがしばしばありますが、意外にも経営陣の中で議論するには丁度よい粒度の情報であったりするものです。
一般的に、上司や上役の視点は自分が持っている視点よりも経営側に近く、それゆえ、自分が善かれと思って手を入れた資料が上司の思惑と異なっていた、ということはよくある話です。
2つめのルーチン作業に関するポリシーは、姿勢として好ましいものの、日常的に行われる作業で毎回確認するのは時間の無駄です。
そもそも、なぜルーチンワークになっているかを考えてみれば、これは自明の理。完成されて決まりきった手順で行われているのがルーチン化できている理由であり、むしろどれだけ早く作業を終えることができるのかが求められます。なのに、手順や前提条件の精査に時間を掛けてしまうというのは、確実性と迅速性のバランスの取り方が間違っているとしか言いようがありません。
もちろん、定期的な作業改善の取り組みの中でルーチンワークの改善案を検討することは重要ですが、日々の作業の中でそれを求めてはいけません。
仕事と作業の注意点について、すでに社会人となっている人はもちろん、これから社会人になろうとしている学生や就活中の学生にも是非理解してほしいと思います。