部下
「課長、クライアントから連絡があって、明日の金曜までに見積書をメールに添付して提出してほしいとのことです。」
課長
「分かった。何時までに送ればいいのかな?」
部下
「来週に内部確認会を開くと言っていたので、実際は週明けに確認するのでしょう。日付が少し遅くなっても大丈夫だと思いますよ。」
一見すると何気ない会話ですが、この翌週、課長はクライアントからクレームを受けてしまいます。それはなぜでしょうか。
さきほどのやり取りには客観的な事実と主観的な推測が混ざっています。クライアントが「金曜までに見積書を送ってほしい」と言ったことは事実ですが、それを部下が「週明けに確認するのでしょう」と勝手に推測しています。しかし、実際には、クライアントの担当者は週末に出社して見積書の内容を整理しようと考えていたのです。
結果として、日曜に出社した担当者はメールボックスのどこを探しても見積書が見つからず、月曜朝に向けた取りまとめができなくなったため、その週の作業スケジュールが大きく遅延してしまいました。
前述のやりとりは、実際に私の隣のチームが不幸にも遭遇してしまった出来事です。外資系企業では”No Guess(ノーゲス)”という言葉を使って、「推測でものを語らずに事実だけを見つめろ」と戒められることがありますが、事実情報の不足が思い込みによる勘違いを助長し、コミュニケーション齟齬が引き起こされるのです。
私は、相手の発言に推測が含まれている場合には、「その情報に根拠はありますか」と速やかに尋ねることにしています。時間が経ってしまうと発言者も記憶が曖昧になってしまうため、確認するならこのタイミングがベストです。
判断するために必要な情報が不足しているなら、それを推測で補うのではなく、まずは情報元に事実を確認しましょう。
しかし、すべての事実を集めるまで判断できないというわけでもありません。たとえば、次の2つの発言を比べて下さい。
@
「最近寒い日が続くものの、天気予報によれば、今週末は気温が30度に達する見込み。昨年は同じ条件でアイスの品切れが頻発したため、今週末は多めに仕入れるべき。」
A
「最近は寒い日が続いており、アイスの売上も減ってきている。このまま寒さが本格化すればますます売上も鈍るだろうから、今週末の仕入れを減らすべき。」
片方は仕入れを減らし、もう片方は増やすことを助言していますが、説得力がまったく違います。@は天気予報や昨年の実績といった客観的情報に基づく推測から論理的に考察しており、採用するに足る十分な理由になります。しかし、Aは「寒さが本格化すれば」という主観的な感想に留まっており、このままでは理由が弱過ぎて採用できません。
論理を積み重ねた考察は事実と同等に扱うことが可能です。相手から聞いたことに対して、「何が言いたいのか?」、「その根拠は何か?」と自問し、根拠にあたる部分に事実、もしくは論理的な考察が含まれているかを確かめ、判断のインプットにしましょう。
なお、主観的な感想しか聞き出せなかったとしても、そこで諦めてはいけません。勘と経験で意見を述べてくる人の一部は、論理的な説明に慣れていないために感想のような発言に留まっている場合もあります。
私の場合、相手の主観的な感想にも、「なぜそう感じたのか?」、「そう感じるに至った理由は過去の経験によるものではないのか?」と問いかけ、相手の考えていることを要素分解をしていきます。その結果、相手も意識していなかった論理的な考察を得られることがしばしばあります。