はてな匿名ダイアリー(通称、増田)の「面と向かってお礼を言わないのって普通?」とそれに続く
「コミュ能力上昇を目指してはいるけれど」を読んで少し思うことを書きます。
※便宜上、Aさん/Bさんと呼称します。
■Aさん「面と向かってお礼を言わないのって普通?」
http://anond.hatelabo.jp/20090501193134
『酔いつぶれた女性がとても一人で帰れそうにないため半ば強引に一万を持たせ、
タクシーに乗せ、帰宅した。メールでお礼は来て、それ自体は好印象だったが、
その後会社で面と向かってもう一度改めてお礼しに来てくれるかと思ったらしてくれなかった。社会人たるもの、
感謝はメールだけで済ませず面と向かって言うべきではないだろうか?なので示唆してみたところ、彼女は無言で一万を返してきた。
そうじゃない、と怒ったが、結局僕の真意は伝わらなかった。』
■Bさん「コミュ能力上昇を目指してはいるけれど」
http://anond.hatelabo.jp/20090502204506
『(上記エントリーを受けて)
私も気づかないだけで周りの人にKYって思われてるかもしれない。うまく会話できないし、気はきかないし(ビールが減ってたら継ぎ足すとか、
そういうことに気づけない)、面白くもない。非モテ非リアなりに一人上手を目指すか、人と交流して自分を鍛える道を選ぶか。
コミュ能力を鍛えるのは、私にとって学校の勉強より難しいわ。』
ありきたりな書き方をするなら、「世の中には2種類の人間がいる、行間を読み取って行動する人と行動しない人だ」
ということでしょうが、そこには当人の資質(ケイパビリティ)も大きく関わっているわけです。
コミュニケーション能力と学校の勉強を引き合いに出した発言をBさんがしていますよね。
この2つを比較すること自体にナンセンスさを感じる人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。英会話と英語(読解)
を別々の科目として学ぶ高校は多いと思いますが、これって日本語も同じなんですよ。
英語(読解)と同じ位置づけになるのは現代国語ですけど、英会話と同じ位置づけの科目も存在し得るはずなのに、学校にはありません。
仮にこの科目を「国語会話」と名づけるならば、
Aさんはきっと国語会話の偏差値が50(平均)を超えていて、Bさんは50を下回っているのでしょう。
さて、ここで少し話を変えます。
あなたは数学の偏差値が60だったとします。一方、知り合いの偏差値は40。
その知り合いが偏差値50を超えるような三角関数の問題を持ってきて「分からないから教えて欲しい」と頼んだとしたら、
あなたはどんな感情を抱きますか?
「これくらいの問題、普通分かるだろ?」
そう感じる人はきっといるでしょう。そして、今回の匿名ダイアリーの場合、国語会話という勉強においてAさんがそうだった。
国語会話の勉強ができない人を見下していると言われても仕方ないかもしれません。
一方、Bさんは国語会話の勉強を今までしてこなかったから苦手科目だったのですね。国語会話は学校では自習扱いの科目だから、
これまで勉強の仕方がよく分からなかったのでしょう。でも勉強する熱意があれば偏差値は上がります。勉強方法は、
国語会話の偏差値の高い人から直接教わるのが一番早いでしょうね。そして反復練習をすること。このあたり、英会話と一緒です。
コミュニケーションスキルが無いことが人間力の欠如であると捉える傾向がありますけど、
単に国語会話という科目が苦手だと捉えてしまえば、それほど感情的になることもないと思うのですけど、どうでしょう?
発想を転換するというオズボーンのチェックリスト
(「その発想はなかった」
と言わせる技術を身につけよう)をちょっと適用してみました。
posted by 吉澤準特 at 23:11
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徒然コメント
ta7kaさん、コメントありがとうございます。上から目線が多いと感じるのは、自分の価値観と異なるものを持つ人への拒否感が根底にあるのだと思います。